藍色でいたい

安田さん推しのただのeighter。

地震で考えたこととか

お久しぶりです。1ヶ月ぶりくらいやな、ちょっとばたばたしてて書くの忘れてた笑

 

エイトとは直接の関係がないお話です。

 

地震きましたね。大阪で。

 

めっちゃこわかった。

 

その日は、いつも通りの時間に起きて電車乗って、電車のなかでTwitterみたり小テストの勉強したりまぁ、普通の日がくると当たり前に思ってたわけですよ。電車降りて学校までの道、10分程度歩くその最後のほうです。

坂道を登ってたらちょっと車酔いみたいな感覚になって気づいたら緊急地震速報が鳴ってて、揺れは坂道を歩いていたからかあまり感じなかったけど。地震速報なったらほんまどうしていいかわからんくなる。いままで避難訓練とかさんざんやらされてたはずやけど咄嗟のことでわからんくなりました。

揺れがおさまったあと、すぐ先生たちに会って学校内のグラウンドに集まりました。待機している間はずっと親や友達の安否確認、震源など調べていました。

私はいつも学校にくるのが早めで、もう学校に着いているも同然のところで地震が起こったから安全に学校にたどり着けましたが、友達の多くは電車に乗っている途中で、森ノ宮にいる人は大阪城公園に避難、京橋にいる人はコムズガーデンに避難という状況が見えてきました。

しばらく待機したあと教室に戻って出欠をとると来られたのはクラスの半分。しばらくして人数が増えたなかには、止まった駅から学校まで歩いてきた子も大勢いました。

結局学校はおやすみになって、動き出した地下鉄で帰っていく人が多かった。私は偶然お父さんが仕事休みの日だったので迎えにきてくれて、学校で待ってました。普段、大阪は都市部で道も狭いし電車社会。阪神高速も使えず、トラックなども全部一般道に流れ込んで、絶対そんなにかからないはずなのに片道1時間。往復2時間もかかりました。

 

帰ったあとはすぐ買い物に行って水、カップ麺、パンなどを購入し、机や棚の上の倒れてきそうなものを下に置くという作業。

しばらくして妹が帰ってきて、地震のときのことを聞くと、大きな揺れのときに地面が波打っているように見えた、と言っていました。

私の学校付近は震度4、自宅付近は震度5強だったので揺れがすごかったんだろうと思います。

友達から食器棚からお皿が何枚か落ちて割れたと聞き、お父さんから自宅では棚がずれたり、スピーカーが落ちたなど聞きました。

 

慌ただしいなか夜になったら、もうとにかく夜がこわかった。

暗い中でも地震がきたら。

親と離れてるときに地震がきたら。

そう考えると寝られなくて友達とLINEしてお互い気を紛らわせていました。そうしてたら、やっぱり来るんですよ余震。0:30、4:00、5:00くらいは寝ててもはっと起きてしまうほどで、その度にこわくて、この後に大きな揺れが来るんじゃないかってこわくて、何分も枕かぶってどきどきしてました。

 

今はもう私のところでは地震などなかったのかと思わせるほど日常に戻っています。現状まだきついのは枚方や高槻や茨木かと思います。震度4でさえあれだけ恐怖を感じたのだからきっと震源付近の方々はもっともっとこわかったでしょう…。

 

そしてテレビで報道されるとき、大阪が被災地と言われるんですよね。当たり前ですけど、被災してますから。でも私は報道もこわいなって思ってしまって、『あぁ、私の住んでる大阪は被災してるんだな』って漠然とおもって、それが地震がきたことをより実感させたな、と。

 

緊急地震速報の音もほんまに苦手で、あれは二度と聞きたくない音です。あれ以来鳴っていないですが今後なることがあったらもうトラウマでその音自体がこわいです。

 

地震がきて1週間は厳重注意ということもよく言われているし、何より防災意識が高まりました。靴と靴下は袋にいれてベッドのそばに必ず置くようになったし、鏡など置きっぱなしにしなくなり、電気ガス水道があるってありがたいんですよね、気づけました。

 

ほんまに今回の地震はこわかったです、大阪の交通機関ぜんぶ止めるくらいの地震がきたわけで、大阪の電車全部とまったら大阪の人間いっぺんに動けんくなるし、防災意識も高まり、今後くる可能性が高いと言われている南海トラフにも対策していきながら、一日を大切に過ごさなあかんなって考えてました。